片付けに「挫折」して「継続」できないのは、「目的」がないからという話

この記事で伝えたいこと

  • 何事も「継続」するためには、強い「目的」が必要
  • 「目的」が明確なら、「挫折」しそうなときに立ち返ることができる
  • 片付け自体は「目的」ではなく「手段」でしかない

皆さんは、「いざ片付けを始めてはみたものの、途中で挫折してしまった」経験はないでしょうか?

まあ片付けに限ったことではないですが、一般的にちょっと面倒なことを継続するのってつらいですよね。

「継続は力なり」とはよく言ったものですが、多くの人が苦手とするところではないかと。

それができてたら苦労しないよ、、、と。

では、どうすれば挫折することなく片付けをやりきれるのか。

結論としては、まず「目的を持つ」ということに尽きるのではないかと思います。

何事も「継続」するためには、強い「目的」が必要

「継続」するための「モチベーション」はあるか

「よし、ランニングでもするか」で、そのままそれが習慣になる人っていないと思ってます。
もしいたとしたら、爪の垢を煎じて飲ませていただきたいです。

だって、その軽い感じだと、やめることもまた簡単にできてしまいますからね。
三日坊主という言葉がありますが、私だったら三日すら続かない自信があります。絶対にムリです。

だからこそ、何かを継続しようとしたら目的が必要なんだろうと思います。

冒頭のランニングを例にとって言うと、一般的には以下のようなところでしょうか。

・健康促進のため
・痩せるため(そして誰かに好意を持ってもらうため)
・マラソン大会に出場するため
etc.

こういった目的があり、しかもそれがある程度切実に思っている場合につき、人は何かを継続できるのではないでしょうか。

目的があったとしても、あまり自分の意志と一致してないというか、「まあ別にいいか」くらいの感覚のものだと続ける理由にはなりにくいですよね。

ランニングを健康促進のためにやると言いつつも、誰かに咎められるわけでもないしいいか、となればなかなか継続することは難しい。

例えば健康を崩すという経験があって、「このままのダラダラした生活じゃダメだ」といったある程度強い気持ち(危機感)からきているとなれば、やっぱり違ってきますよね。

とは言え、いくら強固な目的を持ったとしても徐々に薄れてはいくので、本当は習慣化するための仕組みとかも必要にはなります。

ただ、目的を明確にしないことにはそもそも始まりもしないという点にフォーカスして、ここではあくまでも動機付けということに絞っておきます。

結論、一生懸命になれる目的を持ちましょう、と。
そういうことです。

みんながみんなミニマリストになりたいわけじゃない

モノが少なければ少ないほど、片付けも掃除も楽になる

これは当たり前というか、「そりゃそうだろ」と誰しもが納得できるところだと思います。

極論部屋にモノが1つもなかったら、片付けという行為は存在せず、ルンバのスタートボタン押せば掃除も終了ですからね。
もはやそこまでいったらルンバする意味あんのかと思いますけど。

そういったところの合理性みたいなものが支持を集めて、ミニマリスト人気につながってもいるんじゃないかと思っています。

ただ、みんながみんなミニマリストになりたいかというと、そうじゃないですよね?

もっと言うと、ミニマリストになった、あるいはなろうとしている人も、そうなる前の現状が嫌で、その解消をする手段が片付けであり、モノを減らしてミニマリストになるということだったんじゃないかと思うんですよね。

つまりミニマリストの人も、「ミニマリストになる」ことが目的ではないと。

自分にとって本当に必要かつ価値のあるモノにだけ持ち物を絞り込む、そうすることで本当に自分が大切にしたいことに自分の人生の時間を注ぎ込めるようになる、ってのが真の目的なんじゃないかと思います。

あなたの片付けにおける「目的」は?

一方で、ちょっとわちゃわちゃしたというか、そういうのが好きな人もいますし、殺風景すぎるのもやだな、みたいな感覚を持っている人も多いんじゃないかなと。

あるいは自分の好きなモノに囲まれて暮らしたいとか、自宅=職場であればオンオフを切り替えられる環境にしたいとか。

なので、元も子もないですが、目指すところ、理想は人それぞれだと思います。

だからこそ、闇雲に片付けを始めるのではなく、自分にとっての「目的」を明確にしてからスタートするということが大事なんだろうと思います。

「目的」が明確なら、「挫折」しそうなときに立ち返ることができる

「挫折」しそうなときに「支え」になるか

目的がないと、人は簡単に折れます。

性悪説というわけではないですが、ある一定の強制力というか、何かしら縛りがあった方がやりやすいというのも、悲しいかな真理ではないかと思います。

それがマイナスのものであれば「ルール」やそれに伴う「罰則」であったり、プラスのものであれば「報酬」や純粋に「好き」という気持ちであったりするのかなと思います。

つまり、「目的」は何かを継続するための拠り所になるものでないといけないと。

上述したランニングの例に戻りますが、それをやめたときの現実、そこにまた戻っていいのかという葛藤、あるいはそれをやらないことで得られない未来。

そういったものをひっくるめて、「やっぱりやろう」となる目的であれば、継続できる可能性は高いです。

片付け自体は「目的」ではなく「手段」でしかない

「片付け」することで得られるのは、つまるところ「時間」

そもそも「片付け」って何のためにするんだろうね、という話をします。

答えから言うと、私の考えとしては「時間を作り出すため」だと思います。

まあ片付けをすることが純粋に好きみたいな、嫌いな人からすると変態みたいに思える人(私も含めて)もいますが、結局は片付けをすると自分にとって余計なことに費やす時間が少なくなり、その結果自分にとって大事なことにあてられる時間が長くなるということだと思います。

自分にとって大事なことは人それぞれで、何か自己研鑽をするだとか、ただのんびりするだとか、様々でしょう。

しかしそれをできる限りストレスのない状態でやろうと思ったら、その前提として片付けをして、それをするための空間、そして時間を作り出すということになるのではないでしょうか。

「片付け」は別の何かを達成するための「手段」

つまり、「片付け」という行為それ自体は目的にはならないです。

あくまでも他の何かを達成するための「手段」でしかありません。

片付けすることによって、今の何と決別できるのか。

片付けすることによって、どんな未来を得られるのか。

それを自分なりの片付けの目的として、明確にしましょう。

今日の話は以上です。